ジャッジを考えない

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からの続き。

メモ8さん
ええと、細かい理由は色々あるんですけど、自分の分類2)でやる場合、ドローをOKにすると、3)の場合より、極端にドローが増えてしまうというのが、1番大きな理由ですね。実際データを取ったわけじゃないですけど(そのルールでやっていないのだから)、ジャッジの気持ちとしては、そうなる傾向が強いと。数回アマでジャッジやったことありますが、自分はそうなります。


なるほど確かに! 
納得いく説明をどうもありうがとうございます。


で、説明でじゅうぶん納得したうえで、それでも僕の個人的な考えだと、
「でもドローありでいいんじゃないか」
とゆー気持ちは拭えないものがあって。

興行側は基本的に「ジャッジ性悪説」に立つべきなのか「ジャッジ性善説」に立つべきなのか、
メモ8さんの分類でゆー 2)や3)においては「性悪説」が基本で、
だから「極端にドローが増えてしまう〜」とゆー事態を興行側の責任で避ける、とゆーことなんだと思うんですが、
かと言って、ジャッジにジャッジを信じて任せてる時点で、根本のところにおける「性善説」の部分は外せないのであって、
その性善説に立つかぎり、「ジャッジには差をつける能力がある」と信じていいんじゃないかとか。

更にゆーと、仮に「極端にドローが増えた」として、
それでイケナイの?てゆか。

例えばサッカーで、90分+延長やっても同点だった場合、
PKじゃなくて判定(「枠内シュート数が多い方が勝ち」とか)で決着・・・とかにしたら、
それはサッカーじゃなくなっちゃう、とゆー反対意見は出るだろうかと。
かつてJリーグ立ち上げの頃、興行的理由で「延長Vゴールゴールデンゴール、要はサドンデス)」ってのを採用してたんだけど、
あれって一時期海外でも採用されてたように思うんですが、
結局今ではどこも採用してないよーで。
つまり、サッカーにおいては「ドロー」とゆーのがちゃんとした「文化」として根付いており、
ドローとゆー文化に馴染みがない日本が発明した「ゴールデンゴール」は、広まらなかったと。


で、総合なんですが、
最初のUFCは、時間制限なしで始まって。
UFC4かなんかのホイスvsケンシャムで時間制限が始まってドローになって、
グレイシーが撤退したことにより、時間制限あり=判定あり、が定着したと。
そーやって始まった総合において、「ドロー」は「文化」になり得ないのかどーなのか。。。
僕は、例えばTBSサイボーグ魂水野裕子vs高橋ちひろでドローになった時とか、
ジョシカクとドローは相性悪くないんじゃないか、と思ったことはあるんですよね。