グーグーだって猫である

開始10分で
「この監督、才能ねーな」
と気づいてしまうと、残りの1時間50分が苦痛でしょーがない。
猫・大島弓子・吉祥寺・小泉今日子のブラジャー姿・加瀬亮の棒読み・映画初出演のマーティフリードマン細野晴臣の音楽・・・
要素は揃ってるんだから、
フツーに撮ればそれだけでフツーに名作が出来上がるはずだと思うんだが、
日本の監督はなんで、これだけの素材を使って、こんなクソ自主制作映画を作れるんだろうか。
だいたい、猫飼えない寂しさを映画で癒そうと思ったのに、
後半、猫ぜんぜん出てこねーじゃん。


小泉今日子は、すっかり枯れたおばあちゃん役が似合うよーになったなぁ。
例えば薬師丸ひろ子あたりが映画でお母さん役やっても、老けながらもある種の凛とした魅力を保っているのに比較すると、
キョンキョンとか、あとフミヤなんかもそーだけれども、
若い頃にナチュラルの名のもとに不摂生をした人は、老け顔が目立って可愛そうですよねぇ。
しかも彼らは、自分を客観で見る能力には長けているから、そーゆー今はイケてない自分の状況ってのも恐らく自分で把握していて。
かといって松田聖子みたいに不自然な方向へ今更行くわけにもいかないし、キューティマミーみたいに転化するわけにも行かないし。