●谷川ターザン対談について

「ファイト」での谷川とターザンの対談から、ネットでいろいろ言われてることについてまとめます。
ネットで引用されているのは主に、NHBnewsから

谷 「桜庭選手の『HERO'S』デビュー戦は大きな問題を投げ掛ける内容になったけど、マスコミは全員、ルール問題を語っている。それが本当に驚きましたね。」
山 「あれは桜庭選手が競技としての格闘技の試合の限界を超えたところに最大の面白さがあったんだよなァ。しかし、それを言ったら格闘技はダメなんだという考え方が根底にあるでしょ?」
谷 「あのー、主催者だからこんなことを言ってはいけないんだけど・・・」
山 「いいよ、もう。言ってしまったら?」
谷 「そうですか。じゃ、言いますけど、そんなこと(ルール問題)はどうでもいいんです。」
山 「ワ、ハ、ハ、ハ、ハ。面白い、谷川はやっぱり面白いよ。」

谷川
「桜庭選手が『HERO'S』に来たときに何を思ったのかというよ、桜庭選手には『HERO'S』の世界を他の真d根もらいタカタ。だから楽に勝てる相手を選んだことは確かなんです」
山本
「でも、そうはならなかった」
谷川
「計算外でした。しかし、そこのことによって桜庭選手はPRIDEよりもはるかに厳しい試合をやってしまった。それがまた想定外でしたね」


の2つの部分なわけですけど、元記事読めば、これってホント最低限の引用しかされてなくて。
例えば別の箇所では

谷川「ルールやレフェリー、ジャッジは確かに大切ですよ」

って発言だってありますし。
この対談記事について言えば、テーマは「ファイト休刊」であって、「悪口の世界」であるネット社会の中で「物の見方・考え方を作る・鍛える」作業としての活字プロレスの場が消えてしまうことへの危機感で。
その認識や主張は正しいと僕も思いますよ。
で、その「物の語り部がいない」ことの例として挙げてるのが、

谷川「そんなこと(ルール問題)はどうでもいいんです」

って発言で、その後は

谷川「桜庭選手のあの生き方、闘い方とそのプロ魂はホントに凄いと思いました」


って続いてるわけで。
言いたいことの本題はこっちであって、「ルールはどうでもいい」ってのはその前提として言っただけでさ。
そーゆーのをうっちゃって、今回みたいな引用して「桜庭八百長」だの何だの騒いでたら、ネットの言語環境ってちっともよくならないんだけどね。

谷川「ルールやレフェリー、ジャッジは確かに大切ですよ」
山本「でも、ファンはそれを超えた何かを見たがっている。ルールは世間だからね」
谷川「人間が試合をしている以上、ルールと感情、どっちに注目するかと言ったら選手の感情の部分でしょ? その中で吉田選手の良さ、秋山選手の良さが桜庭選手とどこが違うのか? それだけでもうドラマになっていくわけです」


ってあるけど、僕も桜庭スミルノヴァス戦の後にそーゆーこと書いた記憶があるんだが、その時はこのマッチメイク批判として書いたけど、要は「死んだらどうするんだ」というのは勿論その通りだし当たり前なんだけど、それなら格闘技興行なんかやらなきゃいいわけで。
それでも格闘技を見る・やるってのは、「その先にあるもの」があるからなのであって。