PRIDE WORLD WIDE

これはつまるところ「PRIDEとは何か?」ってことでそ。
選手なのか、演出なのか、煽りVなのか(笑)・・・。
で、僕は思うに、PRIDEをPRIDE足らしめていたのは、ある種の「幻想」だったんじゃないかと思うんです。
例えば、一部では半ば冗談として受け止められた「60億分の1」とゆーキャッチにしても、当時のPRIDEはそー言い切れてしまえるだけの幻想を持っていたわけで。
高田ヒクソンや、桜庭ホイスや、ミルコヒョードルなんかの時にも、「自分は歴史の1ページを目撃してるんだ」とゆー幻想が、その場を共有している人達の間にはあったんじゃないかと。


で、あくまで(UFCオーナーの)フェティータ兄弟がPRIDEオーナーにもなったのであって、UFCに買収されたのではない・・・とのことらしいのだが、
そーだとしても、PRIDEがUFCと並んで存在してしまった、とゆーことは、PRIDE幻想の死に他ならないのではないか。
簡単に言えば、これからのPRIDEは、どー頑張っても「30億分の1」としか言えなくなってしまったわけで。
そんな、世界の半分でしかなくなってしまったPRIDEに、ファンがこれまでのよーな幻想を抱き続けることが出来るのか?同じ演出としたとしても求心力を持つことが出来るのか?
30億分の1で煽りVが作れるのか(笑)?
菊地成孔がDSEを「全能感」と評していたけど(その時は「PRIDE」と「ハッスル」両方を持つ、とゆー意味だったが)、
「60億分の1」なんてのはまさに全能感の産物で、そんな子どもが、自分の外部に「UFC」とゆー「他者」を持ってしまったと。
そしたら、自我はいったん崩壊しますわな。


要するに、PRIDEは10歳になって、やっと大人になりました、とゆーことで。
これからは、ちゃんとした大人になれるか、それとも「子どもの頃は神童、大人になったら只の人」になってしまうのか、わからんけど。


ま、逆にUFCが、ある種の全能感を持ってしまった感は、確実になりますよね。
ダナ・ホワイトの榊原化は、着実に進行しているし。