パッチギ2

土曜日はスマック見に行くべく東京行きの日程を調整してたんですけど、ダメだったので、
「パッチギ2」見ました。



全体としては、娯楽映画としてまぁよく出来てたと思います。
相変わらず喧嘩シーンは迫力あるし。
印象に残ったのは、まず、筋ジスにかかる子役の子。
FUJIWARAの原西に激似。
最近は、神木クンや森迫永依以降、いい子役が多いですね。
あと、国士舘の番長役だったホームチームの与座がよかった。
あの世代のお笑いで性格俳優として評価されてるのだと、ドランクドラゴン塚地あたりかと思いますが、与座の動きも僕は好きです。
主役の中村ユリも、沢尻に負けずエロかった。
YURIMARIは遠くなりにけり。


ただ見終わってみて、映画としては完全に失敗作だと確信しています。
理由は、一言でいえば
「映画が映画を否定してどーする」
っつーか。

手術資金を稼ぐために芸能人になった中村ユリが、「太平洋のサムライ」とゆー特攻隊の映画で大和撫子役を得て、でも在日コリアンとしてその映画を否定する・・・
ってなストーリーなんだが、
その劇中映画の世界観が、あまりにも一面的で。
で、その一面的なモノを否定してるだけだから、全体としても単なる裏返しの一面的な作品にしかなってないんですよね。
前作は「イムジン河」とゆー音楽を肯定的に使ってたわけだけど、今作は映画とゆー存在を否定的に使ってるので、見終わって後味の悪さしか残らない。
映画って、もっと豊かなものであるはずで、映画監督がそんな映画の可能性自体を否定しちゃマズイと思うけどな。
もちろんクソ映画はいくらでもあるし、映画界のモンキービジネス状態もいくらでもあるんだが、それを否定するなら、映画人として自分も傷つくことを自覚してないとマズイわけで。
井筒の場合、それが「自腹」って点で、その批評・批判が認められてた部分があったはずなんだが、
その「自腹」の部分を忘れて、自分が傷つく可能性を忘れて、批判だけが一人歩きしちゃったら、そんなの「自衛のための戦争」と同様、ただの暴走でしか無い。
ま、娯楽としてなら、ある意味勧善懲悪の一面的な世界観の方が盛り上がるわけで、だからこの映画が「娯楽作品」としては成功してるわけなんだが、でも「映画」としては失敗であると。




とりあえずバランスとるために、
近いうちに「俺は、君のためにこそ死ににいく」も見に行きたいなと思っています。