ポプラ

それまでは共同警備区内で南北の兵士たちが共存していた板門店だが、
1976年、
ポプラの木が大きくなりすぎて北を監視するための視野を隠してしまうため
木の剪定をしていた国連軍に対し
北の兵士が斧を取り上げ乱闘、
アメリカ人2人が死んだとゆー
「ポプラ事件」。

これをきっかけに板門店の中にも南北の分断線が出来たとゆー。