太田光・中沢新一「憲法九条を世界遺産に」〜渋谷系の逆襲その3〜

中沢新一といえばオウムだが(泣)、
うろ覚えですけどかつて坂本龍一が、
「80年代に、坂本龍一浅田彰の『テクノ・マテリアリズム』と、細野晴臣中沢新一の『テクノ・シャーマニズム』があったとして、後者が結果的にオウムを生んだことについて、彼らは自己批判すべきだ」
みたいなことを言ったことがあって(言ってなかったかな)。
ま、ちょうどその頃は、再生YMOを経たばかりで教授と細野さんも対立してた頃だったんだろーし、どこまで強い意味で言ったのかはわからんが。
そんなこんなでつまるところ、KEYになるのは高橋“腹上寝”幸宏になると思われる。



さて、そんな細野さんと教授も、Human Audio Spongeで再会したわけなんですけど、そこに媒介として小山田圭吾がいたのはどー解釈したものか。
フリッパーズ・ギターを90年代のYMOとして解釈する時に、小沢健二坂本龍一の学歴主義的王子様症候群の流れに位置づけることには異論が出ないのだが、問題は小山田を、そのグル的性質をもって細野さんに喩えるのか、それともオサレ度をもって幸宏に喩えるのか、によってフリッパーズギターの、そして90年代以降の解釈も変わって来さえすることだ。




この本の中で中沢新一は、例のオウム・バッシングの時に、ひどく傷つきながらも、ハイデッガーショスタコヴィッチら、やはりかつてしくじった経験のある思想家達をよく読んでいたことを一瞬だけ告白している。
個人的にはそこがなかなか面白かったんだが、それは「憲法九条を世界遺産に」って主張と、どっちがどれだけ伝わるものなんだろう。