バブルへGO

シネコン行ったらちょうど時間が合ったので、何の予備知識もなく見たんですが、
その時は結構面白いな〜と思ったんだけど、
エンドロールでホイチョイ制作だと知って、
ホイチョイの今までの映画の中では、一番ダメだと思いました。



映画を見ての一番の感想はといえば
「腐っても広末」
ってことですかね、なんといっても。
広末のハイレグ競泳水着のシーンは、それだけで1000円は払う価値があるかと(笑)。


で、
実はその広末のかわいさこそが、
これまでのホイチョイ作品から落ちてしまった原因なんじゃないか。


ホイチョイの作品の醍醐味は、基本的に、時代の切り取りですよね。
で、
ゲレンデに白いウエアの原田知世にしろ、日焼けに茶髪に白い口紅の中山美穂にしろ、
映画の中の彼女たちは、その時代で輝いてた女の子だった。
ヒロインの恋する、とゆーことは、その時代に恋する、とゆーことで、
だからホイチョイ作品には、独特の甘酸っぱさがあったわけで。

で、今作の広末は、
飽くまで2007年に生きる人間で、それが1990年に迷い込む。
つまり、広末が輝けば輝くほど、1990年が霞むんですよ。
1990年にボディコン・太眉で登場する吹石一恵伊藤裕子も、広末には到底及ばないわけで。
そんな結局、本人役で登場の飯島愛やラモスや八木亜希子飯島直子だったり、六本木交差点の森永LOVEだったり、
そーゆー部分でのクスクス笑いだけが、時代の切り取りとして大きくフィーチャーされてしまうと。


そもそも、リアル世界を思い出してみても、
広末が出てきたのが1994年、
その前の時代のアイドルといえば、
宮沢りえ後藤久美子とゆー、まさに1990年にバブル最後期を象徴する、長い髪の毛&太眉の美少女なわけで。
この映画の中でも、広末と阿部寛が「ローマの休日」のオードリィ・ヘプバーン&グレゴリー・ペックのパロディをやってるシーンがあるけど、
当時オードリィ・ヘプバーンが「胸の膨らみを過去のものにした」と評されたのにならうなら、
広末はショートヘア&ナチュラルさで、まさに「バブルを過去のものにした」存在なわけでさ。


ちなみに、「アベ寛」の起用って、
ホイチョイの成蹊時代の同級生だとゆー噂の某総理大臣へのオマージュなんかな、
と深読みしました。


ネタバレになるので詳しくは遠慮しますが、
エンディングに流れてくるあの曲は、不意を突かれてちょっとキました。
広末の水着=1000円と、
エンディング曲=500円で、
価値は1500円、って感じでしょうか。