妄想2

いま流行の無差別殺人に対して、
厳罰化はその防止策として有効なんだろーか。
あーゆーことやるヤツはつまるところ絶望してるんだと思うが、
そーゆー人間にとって死刑ってのは、
ある種のタナトスを満たす魅力的なものに映るんじゃないか、
とゆー気さえする。
それよりも終身刑とゆー永遠の絶望の方が、防止の実効力としては高いんじゃないかと、なんとなく思う。
ま、それだけの想像力が奴らにあるのかが問題ではあるが。


人間は自由なので、何をやってもよい、
だから人を殺してもよい、
でもそーすると殺された人の側の自由は無くなってしまうので、殺してはいけない、
・・・とゆーのが「人を殺してはいけない」とゆールールが出来るための根拠なんだと思うが、
つまりは、向こう側を想像する能力、が「人を殺してはいけない」の前提になっているわけだが、
じゃ、そのルールをやぶった存在に対して、
ルールをやぶったんそいつのことは想像せず、その時点でそいつも殺す、
とする社会がよいのか、それとも、
ルールをやぶった向こう側のそいつのことをも、想像する社会がよいのか。
どっちが「人を殺さない」社会を実現するために有効なのか、
とゆーと、よくわからない。



死神、
とゆー言葉には、何の批評性もない、職権を乱用して単に個人的エゴを満たしただけのバッチい印象しかなく肯定する気もないが、
それに反対することで、
本来そこに潜んでいるはずの死神性が100%隠蔽されて気づかれなくなってしまったら、
それはそれであんまりよくないことかもしれん。



「人間、生まれてから死ぬまでに、1人だけ人を殺していい」とゆー社会とゆーのは、
その時果たして自分は殺すだろーか、
とゆー問いも、もちろん含まれている。